僕は死ぬのがめっちゃ怖かった・・・
でも、いまは100%怖くないということではありませんが、正直、死ぬことは怖くないです。
その理由は「死」について真実がわかったと思っているからです。死ぬことへの捉え方が変わったということです。
その真実を教えてくれたのが、並木良和さんと小林正観です。
僕自身はこのお二人をとてもリスペクトして強い影響を受けてきました。
そのお二人が「死」についてどのように語っておられるのか?
自分は死ぬのが怖い。
・・・いまこのように思っている人が、少しでも心が軽くなるように、お二人のお話を共有します。
ぜひ、読んでみてください。
並木良和さんの「死」についての考え方とは?
人は寿命を決めてきている。
ずっと、健康のままで寿命を終える人もいれば病気で終える人もいる。
これは実は単なる選択だけなのです。
病気は悪いことではなくて、
「自分はこのままの生きかたで良いのか?」
自分と向き合える時間を取らせてくれているのです。
死というのは自然のことで誰もが避けては通れないことです。
いやだいやだとしがみついていても、避けることはできません。
死とは本当に身近なものなのにも関わらず、あまりにも意識を向けていないのです。
死とは一言でいうと「肉体を脱ぐだけ」です。
僕には過去生の記憶がはっきりとあります。
これをただの幻想だとかイリュージョンだと言う人もいます。
でも、自分のなかの真実だから伝えています。
死ぬ瞬間は気が遠くなる感じがします。
脳内から快感物質みたいのものがでてとっても気持ちが良いです。
ものすごく身体が緩んでいく感じがします。
この状態でらせんを描くように肉体を抜けていきます。
抜けて気が付いたときには自分の身体を見下ろしているのです。
このとき、家族が泣いていたり、お医者さんが慌てている姿もわかります。
周りを見渡すと「光の点」が見えてきます。
その光がだんだんと大きくなってくるのです。
その中にたくさんの人影(シルエット)が見えてきます。
不思議にシルエットだけなのに、おばあちゃんの影だ!とかがわかります。
意識がそっちに近づいていくと、時空間のなかにいます。
そのなかには懐かしい人がたくさんいます。
「いまあなたは肉体を脱いだんだよ!」って周りの存在が教えてくれます。
死ってなにも怖くない。
死というものも存在しない。
死とは単なる移行にすぎず、ただの生の延長線上にあるもので肉体があるかないかだけ。
僕は死後の世界を語ることが重要だと感じています。
また、天国とか地獄とかは存在しません。
死ぬときの「意識」だけなのです。
死ぬ前の「意識」が重要です。
ネガティブな意識で死ぬとネガティブで「低い層」に移行します。
逆に自分がどんなにつらいと思っていた人生でも、
「自分の人生をやるだけやった!」とカラッとした意識で死ぬと「高い層」に移行できるのです。
認知症について・・・
認知症になる人とは2つの特徴が見えました。
ひとつめは、溜めている怒りの感情の封印です。
自分の感情を押し殺して家族や周囲のために生きてきた人は認知症になるのが見えました。
そして、もうひとつは、死後の世界の準備。
死の恐怖心を和らげるためにわからなくして認知症を起こしているのです。
ということは、死の恐怖がなくなったら認知症を起こす必要はなくなります。
・・・これが、並木良和さんが「死」についておっしゃっていることです。
次に、小林正観さんが語っていた「死」についてです。
小林正観さんの「死」についての考え方とは?
人間は死ぬ時を自分で決めて生まれてくる。
そして、全ての人が全てシナリオ通りに生きています。
病気で死ぬ人もシナリオ通り。
事故で死ぬ人もシナリオ通り。
老衰で死ぬ人もシナリオ通り。
死とはどういことかというと・・・
例えば普段、腰痛や肩こりがひどい人がある朝目覚めると・・・
「今日はなぜか身体の調子が良くて軽いなあ・・・」
「ん?やけに周りが騒がしいぞ」
「あれ、自分が布団でまだ寝ているぞ」
「自分の魂が身体を抜けたんだ」
・・・このように気づいたら死んでいた。
「死」とは怖くもなんともないことなのです。
身体(からだ)の語源とは「カラダマ」
魂のカラの箱という意味が語源なのです。
だから、魂と身体は当然ながら別個のものなのです。
要するに、死とは魂が抜けるだけのことなのです。
臨死体験者の方々の共通点とは?
病院で一旦心電図が止まり、その後戻ってくる人も多くいます。
その人たちが語っていることには共通点があります。
例えば、心電図が止まりお孫さんから・・・
「おばあちゃん、還ってきて!」と言われて還ってくる人が言う共通点。
「次に逝ったときには絶対に呼び戻さないでね」
「還ってくるのはとっても辛かったから」
・・・戻ってきた人はみんな口を揃えて言っているのです。
要するに、あの世に逝くときはとても気持ちが良くて
この世に戻ってくるほうがつらい気持ちになったというのです。
この世に戻ってこれて良かった!ではないのです。
死ぬと「お花畑」が見えるそうです。
そのときに、自分が好きなお花しかなかったらもう戻れない。
でも、中に嫌いなお花が混ざっているときはまだ戻れるサインだそうです。
また、認知症についても認知症になる人の共通点は死が怖い人。
だから、神様が恐怖心を紛らすために認知症にしてくれるのです。
以上が生前に小林正観さんが語っていた死についてです。
並木良和さんと小林正観さんの死についてを学んだ感想
並木良和さん、小林正観さんの「死」についてのお話でした。
お二人とも言い回しは違えど「ほぼ同じ内容」ですよね!
死ぬことは特別なことではなく、
もちろん怖いことでもないということ。
並木さんは自分が死んだときの記憶。
正観さんは臨死体験した人の多くの体験談。
これらから導きだされた、
「死ぬことは気持ちが良いこと」というのが特に印象的でした。
僕自身も過去に大きなケガを数回しました。
(臨死体験まではないですが・・・)
そのときも、確かに痛みはありませんでした。
「死ぬこと=痛いこと」
・・・この考え方が解消されるだけでも死に対する恐怖心が大きく変わりました。
並木さんのお話は2019年に聴きました。
小林正観のお話はなんと20年以上も前からこのことをおっしゃっていました。
最近ではスピリチュアルなこともかなりメジャーになりました。
でも、20年前はまだまだ、あやしい話ととられることが多かったです。
でも、これらの内容が今と変わらないということは
これらのお話は両方とも真実なのかな?とも感じております。
皆さんはどのように感じたでしょうか。
まとめ
僕は前世の記憶もありませし、臨死体験もありません。
人間は本能的にわからないものは怖いとなるのが普通です。
だから、死ぬのが怖いのは普通のことでもあるのです。
僕の死への考え方が大きく変わった話しのひとつに「自分がもしも不老不死になったら・・・」というものがあります。
自分は生き続けてるけど、周りの家族や友人は全員死んでいく。
・・・人間は自分の死よりも大切な人の死のほうが実は怖れています。
今回のお話で少しでも恐怖心が和らいだとしたらとてもうれしいです。
ちなみに、自分のお葬式の準備をして意識することも「死」の恐怖心が薄れるひとつの行動ですよ。
無料で資料請求もできますので、ぜひやってみてくださいね。