時代が流れるにつれて
「戒名は本当に必要なのか?」という疑問が増えてきているようです。
時代が流れて平成から令和の時代に入りました。
昭和は「昭和時代」という呼び名に変化しています。
そんななかで、戒名が一般庶民にも浸透したのは江戸時代の中期だと言われています。
位牌を甥や姪に残すと迷惑が掛かる・・・
戒名を付けてもらうお金がない・・・
戒名を付けてもらう意味がわからない・・・
このような理由から「戒名離れ」のようなことが起こってきていきます。
そこで気になる部分はココですよね!
戒名がないと読経や埋葬ができないのか?
戒名についてのよくある疑問
これらについてお伝えをしていきます。
戒名がないと読経やお墓の埋葬ができない?
結論としては、戒名がなくても
お坊さんにお経を読んでもらえます。
それに、お墓の埋葬ももちろんできます。
日本では憲法20条で宗教を信じる、信じないの自由。
宗教選択の自由を、家単位では無く個人単位で保障されているのです。
しかし、戒名をもらわないことはどういうことなのかを知っておく必要があります。
戒名をもらわないと何が困るのか?
戒名をもらわないという選択をすると、ご先祖の墓があって葬礼・仏事を営むお寺(菩提寺)のお墓には入れなくなります。
(そのお寺さんも商売、何もかも許すわけにはいかないのです。)
当然ながら、菩提寺のお寺さんからの読経もしてもらえません。
でも、宗教や宗派が不問の霊園墓地や納骨堂などはいくらでもあります。
日本でのお葬式の90%が仏式スタイルです。
だから、菩提寺にはこだわらずに戒名をつけてほしい。
というのであれば、いくらでも選択肢はあるのです。
戒名をつけてもらうにしてもお坊さんの読経にしても、ネットで手配が可能な時代です。
それに、戒名を自分で付ける人も増えています。
先祖代々のお墓や菩提寺にこだわらなけらばいけない。
・・・そんな価値観は薄れつつあるといえるのではないでしょうか。
お墓についてもっと詳しく知りたい方はこちら▼
【どっちが良いの?】お墓と納骨堂の違いとは何か?メリットとデメリットも徹底解説!
菩提寺じゃなくても、戒名がないと納骨を断れてしまう墓地や納骨堂もあります。
戒名についての基本的な知識はもっておいた方がよいです。
そもそも、戒名って何なのか?
この世での名前が「俗名」
あの世での名前が「戒名」
また、戒名は仏様の弟子として認められた証とも言われています。
もともと、戒名の始まりは、お釈迦様が35歳で悟りを得て覚者となった時に、「これからは私を今までの名前で呼んではいけない、私は覚者となったのだから」と言われた事に起因しているとされています。(覚者とは真理を悟っている者)
そこから、出家した時や仏門に帰依した時。
そして、亡くなった時に戒名を付けるという風習になったのです。
戒名のランクによってあの世での生活が変わるのか?
戒名は仏様の弟子として、認められた証だとしたら、
そのランクによって具体的に何が変わってくるのでしょうか?
あの世で偉くなって良い生活を送れる?
来世に生まれ変わるときに良い人生が待ってる?
結論としては
何も変わりません。
良い生活や良い人生など良い悪いということは存在しない。
宇宙の全てはニュートラルである。というのが「般若心経」の教えです。
今生でどれくらい修行をしたのか?
修行を何のためにするのかというと、さとりを得るためです。
悟りの種類も52種類あるとされています。
悟りについて凝縮して262文字にまとめたのが「般若心経」です。
迷いの世界を超え、真理を体得すること。
そのために、時には荒行とか苦行といわれるような、苦痛をともなう修行をこなす人もいます。
その修行がどの段階まで進んでいるかによって階位が上がっていきます。
そして、お布施行(財産など教団に施すという修行)をすることで上の階位にしていもらえるのが今の日本仏教システムなのです。
あくまでも、システムであり真理ではありません。
そして、個人個人の死生観や価値観によっても違うとしか言いようがないのです。
戒名が気にいらなければ変更できる?
戒名は変更することは可能です。
結局、お金を支払えば変更することができるのです。
故人様が生前とても穏やかでやさしい性格だったのに戒名で「厳」という文字が含まれている。
気にいらないから、変えてほしいというそんな方もいるのです。
お金さえ払えばめちゃくちゃ簡単に戒名を変えることは可能です。
・・・じゃあ、戒名って何なの?
お坊さんがいくらでもシステムを変える事ができそうですよね。
まとめ
戒名って絶対に必要なのか?
についてお伝えをしてきました。
僕の個人的な感想としては、いまの戒名というのは「システム」のような印象を受けました。
そもそもの仏教の教えについて修行については脇に置いてるような感じも受けました。
また、いろんなお坊さんの意見についても読ませてもらいました。
結局「供養」という言葉でごまかしているようにも思えました。
死後の世界ですから、証明することも難しく人それぞれの価値観ということになってしまうのでしょうか。