3年前に父親が亡くなったときの霊柩車は「ボルボ」のリムジン型霊柩車でした。
少し、不謹慎かもしれませんが・・・
その時は「宮型霊柩車」の助手席に乗れるかなあとちょっとだけ期待していました。
でも、そういえばいつのまにか「宮型霊柩車」を見かけなくなりましたよね~
昭和時代の霊柩車といえば神輿がついた「宮型霊柩車」が当り前。
そして平成時代になり、徐々にその姿も見なくなり装飾が一切無くなりましたよね。
もしも、故人さまの遺言で「霊柩車は宮型でお願いな」と書かれていたらどうしますか?
いまでも、走っているのかなあと思いますよね?
そこで
令和時代に入っても「宮型霊柩車」を発注することは可能なのか?
なぜ、宮型霊柩車が減少してしまったのか?
気になったので、調べてみました。
霊柩車についてのいろいろな情報をお伝えしていきますね。
「宮型霊柩車」を令和時代に発注することはできるのか?
令和時代でもお神輿のような
「宮型霊柩車」を発注することは可能です。
しかし、令和になってさらに全国的にも台数が少なくなっているということ。
また、火葬場によっては乗り入れが制限されているということ。
これらの条件をクリアしなければいけなくなり、難しくはなってきています。
ですので、どうしても「宮型霊柩車」を希望する場合には葬儀会社と事前にご相談をすることをおすすめします。
ただ、利用料金については、宮型だから高くなることはなく
むしろ、新しいリムジンタイプのほうが高いぐらいだそうです。
なぜ、宮型霊柩車を見なくなってしまったのか?
宮型霊柩車が急激に減少した「3つの理由」とは・・・
- 遺族が目立ちたくないという意識が強まってきた。
- 火葬場が近隣対策の圧力で迫られたため
- 国土交通省の自動車安全基準が厳しくなってきた。
以上の3つの理由によって宮型霊柩車の台数が減少したと考えられています。
最近ではお葬式がどんどん小規模になってきていますよね。
多くの人に参列してほしいという価値観から、ひっそりと家族や身内だけに見送られたい。
このように目立たない意識が全体的にも浸透しつつあります。
それに伴い、霊柩車も目立たない方向へとシフトしてきているのです。
昨今では古く老朽化した火葬場をつぶして、新しく統合して建設する時代の流れになっています。
火葬場を新たに建設するときには近隣の反対がとても強いです。
そこで、死を連想させる宮型霊柩車の出入りを禁止するという条件で近隣からの建設の承諾を得るという理由もあるのです。
そして、③の安全基準については改造車の安全基準が年々厳しくなってきています。
そういったことから、新たに宮型霊柩車を製造することが必然的に減少しているのです。
霊柩車にはどんなタイプのものがあるのか?
霊柩車には実は種類があるのをご存じでしょうか?
自動車が普及する大正時代までは、担いで運ぶ「輿(みこし)型」が主流でした。
そして、明治初期までは上に棒をさす「駕籠(かご)型」で運ばれていました。
さらに大八車に輿を載せた「棺車」などの乗り物が霊柩車代わりに活躍していました。
そして、現在の自動車型になりました。
宮型霊柩車
昭和時代を代表する霊柩車のカタチです。
この霊柩車を見たときは通り過ぎるまで親指を隠さなければいけない。
そうしないと、自分の親の死に目に会えなくなる。とよく噂されていました。
また、宮型霊柩車が夢に出てきて通り過ぎる夢をみたときは、
いま、抱えている問題も通り過ぎる暗示だという夢占いも有名です。
リムジン型霊柩車
現在、主流の霊柩車のカタチです。
ステーションワゴンなどの車がベースとなっています。
見ての通り、宮型霊柩車のような装飾は一切ありません。
そして、車体の色も圧倒的に黒塗りが多く一般車とほぼ区別がつかないほどです。
なかには、白やシルバー、ピンク色の車体もあります。
リムジン型は棺と一緒に「親族も同乗できる」メリットがあります。
(後部座席を使用することができるため)
バス型霊柩車
バスの車体がベースになっている大型の霊柩車です。
この車の最大のメリットはご遺体の棺と一緒にご遺族、参列者なども移動できるということです。
斎場から火葬場までの距離が長い場所などではとても重宝されている車種です。
まとめ
宮型霊柩車をいまでも発注することができるのか?
なぜ、洋型の霊柩車ばかりが増えてきたのか?についてお伝えをしてきました。
個人的な感想としては・・・
「さみしい」です。
またひとつ、日本の文化が無くなってしまうという寂しさです。
日本は戦争に負けて西洋文化がどんどんと入ってきました。
昭和⇒平成⇒令和と時代が変わりました。
もう一度、日本の文化を復活させてほしいものです。
西洋文化も良いものも確かにあります。
でも、忘れてはいけない大切な日本の文化もきっとあるはず!
宮型霊柩車が完全になくなってしまわないように・・・僕は願っています。